茶山台新聞

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やまわけキッチンで誰かと過ごす、愛おしい日常のお話。

木

茶山台団地出身、団地育ち。一度、茶山台から出て暮らしましたが、結局、6年前にUターンしました。今は、住宅供給公社の茶山台団地のニコイチ(2部屋をつなげたリノベーション住宅)に住みながら、夫と小学6年生の娘と、団地暮らしを楽しんでいます。

仕事は、2004年に立ち上げた「NPO法人SEIN」の代表として、コミュニティ再生のパイプ役になることと、役割と稼ぎが巡り巡る地域社会の実現を目指し、茶山台団地内にある一室を使った「丘の上の惣菜屋さん やまわけキッチン(以下、やまわけ)」で、ごはんを作ったり、住民の皆さんと対話したり、仕組みを考えたりしています。

そのやまわけが店を構える茶山台団地はいわゆるニュータウンですから、よくある風土から生まれた郷土料理がありません。泉北ニュータウンに50年近く住んでいる方は、働き口を探して九州や四国、中国地方などから出てきたという方が多く、例えば寒いところの出身の人は、保存食を日常的に食べてきたので塩分多めの食事を好んだり、海や川に近いところの出身の人は、魚は新鮮じゃないとあかんかったりします。

はて、どうするか!?

頭を捻るだけ捻ってみたものの、結局は万人にウケて、日常になじむ、家庭料理を中心の食事を提供しています。

いつか誰かのソウルフードになりたい。そう目論みながら運営するやまわけの日々を通じて生まれるエピソードを、いくつかご紹介してみたいと思います。

とうもろこしごはんと少年

やまわけの夏の定番メニュー「とうもろこしごはん」。とうもろこしを包丁で剥いで、自然塩と料理酒だけのシンプルな味付けで、週に1回はとうもろこしごはんを炊いています。

ある日、近くで遊んでいた小学生の男の子がやまわけに寄ってくれたので、余りそうだったとうもろこしごはんをおにぎりにしてあげたら、「うんま!」といって、完食してくれました。

それ以降、「茶山台としょかん」で開催されている夏休みの宿題サポートの時間が終わったら、やまわけに寄ってくれるようになり、とうもろこしごはんと唐揚げを食べてもらえる関係に。いつもおいしそうにたくさん食べてくれるので、ついおばちゃんは、大盛りにしちゃいます。

ただ、夏休みが終わると、その機会がピタッとなくなり、久しぶりに再会して「とうもろこしごはん、今日ある??」って聞かれたときには、残念ながら冬になっていました。その子に向かって「また夏においでよー」と声をかけながら、初めて、夏が恋しいと思いました。今年も、とうもろこしごはん、準備しよっと!

551HORAI・御座候VSやまわけキッチン

先述の通り、「いつか誰かのソウルフードをになりたい」と目論んでいるやまわけですが、絶対に敵わないのが、みなさんご存知「551HORAI(以下551)」と「御座候(ござそうろう)」。

団地住民さんとお話ししていると、遠方に住むお子様方に送って一番喜んでくれるのが551の冷凍肉まんなのだそう。帰省してきたときの手土産にももちろん、持たせるのは551の肉まん。「もはやそれソウルフードやん!」とは口が裂けても言いません。

また、回転焼きの御座候は、お礼などの手土産にぴったりで、やまわけは飲食店にも関わらず、御座候をお土産でいただくこともしばしば。いただいたときには、そこに居合わせた住民さんと山分けしています。

それが、買い物袋が有料化され、エコバックを持ち歩くことが推奨されるようになったある日、やまわけのワンコイン弁当に551の紙袋がぴったりサイズだという事実が発覚。以降数人の住民さんが、エコバック代わりに551の紙袋を持参され、ぴったり収まって安定したお弁当を持って帰られます。

憎き551の紙袋に包まれて、やまわけのお弁当が運ばれていくのは屈辱ではありますが、子連れのお母さんのごはんは喜んで大盛りにするなどしながら、日々、コツコツと、泉北ニュータウンのソウルフードの座を狙っています。

食べてほしかったいちごパフェ

「普段は甘いもの、食べないんだけどねー」と言いながら、甘いものを用意すると必ず買ってくださった当時86歳のYさん。おはぎを用意したときは、「子どもの頃にお母さんが作ってくれたおはぎを思い出した」と、懐かしそうに当時のエピソードをお話しいただくこともありました。ささやかなやまわけおはぎがキラキラ輝く瞬間です。

Yさんは、やまわけができた頃は、運動がてら惣菜を買いに来てくださっていましたが、ご自宅で転倒した際に骨折をされてからは、宅配を希望されるようになり、やまわけが開いている週4日は、惣菜を配達させてもらっていました。

惣菜を持って行くと、ご家族のことをよくお話ししてくださって、「孫が宇宙に行くから、あと10年は生きたい。生きている間は頼むわね!」とおっしゃっていて、私もあと10年は頑張らないとな、と思っていました。

しかし、そんな日々は続かず、ある日、もしかしたら孤独死されるところだった寸前で、人のつながりから一命を取り止め、病院に運ばれ、最後は関東に住む家族も駆けつけて、家族が見守るなか、亡くなられました。忘れもしない、2022年4月のことです。

実はその前日、「Yさんと連絡が取れない」と、ある場所からある人へ連絡がありました。その人と私でご自宅を訪ねるも反応がなく、結局はベランダの窓を割り、鍵を壊して中に入り、トイレで倒れていたYさんを発見。

とにかく病院には行きたくない。

そう言って悶えながら椅子に座り、痛みに耐えていらっしゃるときに、私はYさんがこの状態になったのはいつなんだろうと思いました。そして、Yさんがいつも予定を書き込んでいたカレンダーのほうに目をやると、その隣にやまわけキッチンの月カレンダーがあり、いちごパフェを提供する予定日に「◯」がしてありました。

食べようと思ってくれていたんだ……。

瞬間、そう思いました。それ以来、いちごパフェの季節の頃になると、「お孫さんが宇宙に行くところを一緒に見たかったなー」と、Yさんに思いを馳せます。今年はバタバタして、準備できなかったけど、来年はいちごパフェ用意しよう!

と、まだまだ、いろんなエピソードがありますが、やまわけをやってきてひとつわかったのは、やっぱり食は暮らしを豊かにするということ。今日も、私は誰かの日常や思い出に触れながら、愛おしい時間を、やまわけキッチンで過ごしています。

写真=都甲ユウタ

この記事を書いた茶山のひと

プロフィールページ

湯川まゆみNPO法人SEIN代表

泉北ニュータウン生まれ、ニュータウン育ち。この街を出たくて仕方がなかった10代を過ごし、25歳でひとり暮らしをするために外に出るも、この街の良さに気づき、38歳でUターン。夫と小学6年生の子と3人、団地暮らしを楽しんでいる。NPO法人SEIN代表理事。やまわけキッチン代表。

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