茶山台新聞

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茶山台一の世話焼きおじさん・川野さんに聞いた、他人にお節介をするための極意。

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「お節介」という言葉を聞いて、あなたはどんなことを思い浮かべますか?

きっと、よいイメージをもたない人のほうが多いのではないでしょうか。国語辞典を引いてみても、「余計な世話焼き」「かえって邪魔や迷惑になるようなさま」「余計なお世話」「大きなお世話」など、散々な書かれようです。

最近、社会が極端に便利になったがゆえなのか、個人主義の人が増えたからなのか、昭和生まれの筆者からすると、昔に比べて「お節介な人」に出会う機会が減ったような気がします。「そういうあたなはお節介なの?」と聞かれても、「違うかなぁ」と答えるでしょう。困っていそうな人がいても、声をかけていいものか、迷惑がられやしないだろうかと思って、出そうとした手を引っ込めがちな大人……かもしれません。

でも、近年人口減少に伴う過疎化が、いわゆる田舎のみならずニュータウンなどでも深刻になり、つながりの希薄化や高齢者の孤独死などが問題になるなかで、実はこの「お節介」に対する評価がマイナスからプラスに、「あの人、お節介でめんどいなぁ」から「あの人、お節介でえーやん!」に変わってきた風潮があるようにも思います。

そこで今回は、茶山台在住の、困っている人がいたらついつい声をかけて手伝ってしまう自他共に認める世話焼きおじさん・川野忠男さん、御年83歳に、いろいろお話を伺ってみました。

川野忠男83歳、まだまだ元気!

まずは川野さんの人物紹介から。

堺市生まれ。堺市育ち。勉強嫌いだったため、15歳で社員数600人ほどのアルミの会社に就職するも、会社の方針で結局工業高校に通わされ、4年間を過ごしました。

卒業後、3年ほどその会社に勤めますが、社員同士が家族のように仲の良い社風で、働くのが楽しくて仕方がなかったそう。ここで、人生の伴侶となる恭子(やすこ)さんと出会い、結婚。将来を考え、安定性のある公務員に転職し、それから60歳で定年退職するまでの38年間、堺市の消防士として地域の安全を守ってきました。

堺市内で住まいは4回ほど移りますが、1991年に茶山台団地で暮らし始め、今年で実に34年目になるといいます。

高度成長の最中に誕生した泉北ニュータウンは、当時流行した新たなライフスタイルを謳歌する人々で溢れ、大変にぎやかなエリアとなりました。しかし、やがて日本の全国各地同様、人口減少・少子高齢化が進み、空き家の増加や高齢者の買い物難民化など、次々と課題が生まれるようになります。それに対して、泉北ニュータウンでは産官学民が連携しながら、安心して住み続けられるようなまちづくりに取り組んできました。

茶山台でも、集会所を再活用したみんなの居場所「茶山台としょかん」、誰でも無料で使える工具などが揃った「DIYのいえ」、茶山台団地の一室を改装した惣菜屋さん「やまわけキッチン」など、子どもから高齢者までが集えるさまざまな取り組みが行われてきました。

川野さんは、これらのどの取り組みにも首を突っ込み、なんやかや言いながら、老若男女いろんな人たちとコミュニケーショをとり、毎日をとても楽しんでおられます。

川野さんのようになるためには?

今でこそ団地ライフを満喫する川野さんも、もちろん最初からそんなふうだったわけではありません。川野さん曰く、高齢者になればなるほど、いろんな人がいる場所に足を運ぶのは難しくなるそうです。

—どうして高齢者になるほど、いろんな人がいる場所に足を運ぶのが難しくなるんでしょうか?

川野さん:住宅供給公社や民間の方々が、この団地を盛り上げよう、特に高齢者が住みやすくなるようにと、こういう場所(やまわけキッチン)をつくったりしてくれているのですが、なかなか高齢者は動きません。

特に男性は、会社時代のコミュニケーションを引きずりやすく、人と交わるのが苦手になって動かなくなります。動かないから体が弱っていって、コミュニケーションもとらないから話術も衰えてきて、だんだん言葉も出なくなってきて、となっていってしまう。傾向として、女性は人と関わるのが好きだから大丈夫なことが多いんですが、男性は高齢者になるほど、コミュニケーションが苦手になる傾向があるように思いますね。

—そういう川野さんも、男性の高齢者です。川野さんは、なぜいろんな人たちとのコミュニケーションをとることができるのでしょうか?

川野さん:もともとコミュニケーションは苦手じゃないというのがあるんですが(笑)、それでも定年になるまでは僕も、挨拶くらいはするけれど、近所付き合いはほとんどしなかったんですよ。それが、定年になって時間ができて、自治会の役員になって、消防士だったから防犯部長を任されて、いろいろ見直してあれこれやっていたら、顧問を6年も続けてしまった。なので、自治会や地域のことは、その6年ですごく詳しくなりました。

また、自治会の顧問になって3年目くらいのときに、ある人から「老人会をつくりたいから自治会からの支援をもらえないか」と申し入れがあったんです。聞けば立派な構想で、「老人やから僕も入りますよ」って言ったら書記に任命されてしまって(笑)。

最初は5人くらいだったんですが、一番多いときで60人くらいの会だったんです。今は三分の一くらいまで減ってしまっているんですが、僕が顔見知りが多いのは、自治会に入って役をして、老人会で役をして、としてきたからでしょうね。

—若い年齢層の人たちとは、どのように知り合ったんですか?

川野さん:若いみんなの顔がわかるようになったのは、ここ5~6年です。やまわけキッチンの代表をされている湯川まゆみさんが、まだやまわけができる前に住民にアンケートをとって、出てきた「買い物に行けない」「近くに食堂がほしい」といった希望を叶えようと、公社に掛け合うなど尽力されたんです。

川野さん:僕らは当初、大して関心もなかったんですが、5年前の7月頃、近くでなんかドタバタと大きな物音がしてるんですよ。なんだろうと思って覗きに来てみたら、僕らみたいな高齢者が2人と、若い女性が5人くらいと、子どもたちが一緒になって、床板を張ってたんです。

壁もとってしまって、なんにもなくて、聞けば作業を始めて5日目やと。そこに湯川さんがいて、「ここ何するん?」て聞いたら、「食堂するんです」て言うから、「こんな機械とかよう使うん?」って聞いたら、「よう使わん」て言うから、「できへんやん(笑)」て言うて。「手伝ってもええん?」って聞いたら、「ええよ」って言うもんで、その日から手伝ったんです。翌日は友達2人、連れて行きました。

お店がオープンしたのが11月5日で、終わるまでのべ24日くらいDIYの日数がかかったって言うたかな。真夏だったんですけど、当時「こんなところに食堂なんかつくっても流行るか!」って言うた手前、毎日来てます(笑)。

—自然な、すごくよい出会い方だったんですね。他の高齢者の方々にも、川野さんのような出会いをしてもらうには、何が必要だと思いますか?

若い人たちや公社が高齢者福祉としての活動をしてくれているなかで、高齢者である自分たちが活動の対象である、ということを自覚できていないんですよね。そのことを自覚して、じゃあ行ってみようとなることが必要かもしれません。

孤独死を防いだお節介

—ある高齢女性が自宅で孤独死していたかもしれない場面を防いだ出来事があったと伺いました。そのことについて、少し教えていただけますか?

川野さん:僕とYさんは同じ主治医に診てもらっている関係で、その主治医の奥さんからある日、「Yさんと連絡が取れないからちょっと川野さん見てきてくれへん?」と頼まれて、それで11時半ごろ行ってみたんです。そしたらポストにまだ新聞の朝刊が入っていて、「あれ?」と思って、ドアを叩いて声をかけても返事がない。

駆けつけてくれた湯川さんに、「今日Yさんから注文あった?」と聞いたら、ないというので、お隣さんの家からベランダをつたってYさんの家のベランダに移って、「おる?」って大声で言ったら、中から唸り声が聞こえて。

「Yさん、ここ開けて!」と言うても開かんもんで、仕方がないと窓ガラスを割って中に入ったら、トイレで転けてはった。

それで、「病院に行こう」と言うても「行かない」の一点張りで、主治医の奥さんにも来てもらって説得して、ようやく救急車に乗ってくれて。でも僕は家族でないんで、後から車でついて行って。病院のベンチで座って待っていたら、18時ごろ看護師さんから「息子さんと連絡がとれたからもう大丈夫ですよ」って言われて、「ほんなら帰るわ」って家に帰って。翌日の昼過ぎに、東京から息子さんが駆けつけて、その36分後にYさんは亡くなりました。

—家族の方が、Yさんの最後に間に合って本当によかったですね。一方で、川野さんが他人のためにそこまで行動できるのはどうしてだと思いますか?

川野さん:心の中では、(誰かのためになることを)みんなしたい思ってんると違うかな。行動に移すか移さないかだけ。「ええかっこしいや」と言われるのが嫌なだけやと思う。僕は、そういうのかなぐり捨ててるからかな。

—なるほど、実はみんな、内心お節介したいと思っていると。

川野さん:そう。つい先日も、高齢者福祉施設の車がエンジンかけたまま停まっていて、2階を見上げると、どうやら高齢者の方を抱えて降りてくるのにもたついていて、僕はそういうのを見過ごすことができない(笑)。走って2階まで上がって、相手の人に「こうすると危なくないから、ここ持って」と伝えて、一緒に降りてきて。「ついさっき、腰に鍼打ってもらったとこやのに、もう腰痛いわ」言うて。

他にも、例えば道路で単車が転んでいたら、車を停めて声をかけてしまう。娘からは、「出しゃばりや」ってよく怒られます。

—ほっとけないんですね?(笑)

川野さん:ほっとけない!(笑)  誰かに何かを言われたからって、どうってことない。僕はもともと消防士やから、そういう場面で自分が処置できるから、やってるだけ。みんな、できるなら、きっとしてあげたいと思ってると思う。

—なるほど、できるからですね。もしかしたら、今の若い人たちは、自分でできることが少ないのかもしれませんね。

川野さん:そうなんですよ。できる人間は立ち止まる。倒れている人がいたら、僕はなんかできると思う。あと、そういう場面があったときを想定して……(川野さんスマホを取り出す)

川野さん:この大阪市が出してる救命アプリを入れてるんです。ボタンを押したら、すぐにとるべき行動の動画が流れて、心臓マッサージのリズムも教えてくれる。自分ですぐにできるようにというのと、自分でようせんかったときにも、これを横に置けば、誰かがやってくれるでしょ。きっと。

—面倒だとかは思わないんですか?

川野さん:こんな言い方したら笑われるかもしれないけど、楽しんでるよね。誰かの困ってることを解決するのを楽しんでる。そして、その喜びを分けてもらってる。この前も、「DIYのいえ」の近くの人が水道のパッキンがダメになってて、水がいつもきっちり止まれへんといってきた。交換なんて簡単にできるから、「ホームセンターで部材買うてくるから後でお金ちょうだいや」って言うて、なおして、はい110円って。それで喜んでもらったら、うれしいし、楽しいでしょ。

—どうしたら、そんなふうにお節介を楽しめるのでしょうか?

川野さん:結局大事なのは、コミュニケーション。知り合いにならなかったら、まず信用してもらえない。そしたら、家にも入れてもらえないし、水道のパッキンも変えられない。相手が僕を信用して、家に入れてくれるからできるんです。だから、まずは日頃の挨拶から始まるよね。こんにちは。おはようさん。

—挨拶の他にも、何か心掛けていることがあれば教えてください。

川野さん:目を配ってるかな。あの人の車が定位置に停まっているかとか。いつもと違うことがあったときは、気をつける。日常に関心をもつこと。違和感があったら、ご家族などに躊躇せずに聞くようにしています。それで嫌な思いをすることもありますよ。そんな良いことばっかりじゃないですけど、でも、みんながいてる。みんなが見守ってくれているから、毎日本当に楽しいです。

いかがだったでしょうか? テクノロジーの進歩はいよいよ目覚ましく、オンラインでの、コミュニケーションは、便利さゆえに一層機会を増しています。一方で、リアルで顔を合わせて出会うようなコミュニケーションは、今でいうコスパも悪く、軽視されつつあるように思います。

でも、おそらくオンラインのコミュニケーションでは、川野さんのようなお節介は成立しないでしょう。それは、オンラインで受け取れるデータの中には、川野さんのいう「日常と異なる違和感」の情報は含まれないからです。そして、川野さんの行動が一人の女性の孤独死を防いだという事実が、これからの超高齢化におけるお節介の意味を、示唆しているようにも思いました。

この記事を読んでくれたあなたもぜひ、「これお節介かも?」と思うようなことがあったら、勇気を出して行動に移してみてください。迷惑がられてしまうかもしれませんが、その小さな行動が、もしかしたら誰かの命を救うなんてことも、あるかもしれませんよ。

写真=都甲ユウタ
文=赤司研介(imato)

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