茶山台新聞

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「⼀⼈ではできないことも、仲間がいれば形になる。」人を⼤切に、第⼆の⼈⽣を歩まれてきた⽥中肇⼀さんのこれまでの歩みとは

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20代で茶⼭台に移り住み、定年後は地域活動に取り組む⽥中肇⼀(たなか ただかず)さん。

地域の⼀員として活動する⽥中さんがなによりも⼤切にしてきたのは「ひとりではなく、みんなでやること」。⽥中さんが茶⼭台に移り住み、これまでどのように活動されてきたのか、お話をお聞きしてきました。

「大手手帳メーカーでの現役時代」 仲間を大切にする姿勢の原点

田中さんは、中学卒業後、大手手帳製造メーカーに新卒で入社し、定年まで同じ会社で勤め上げました。最初は大阪市西区の本社で勤務し、経験を積むごとに責任者としての役割を担うように。やがて、奈良・法隆寺近くに新設された工場へ異動となり、労務管理に従事。未経験の分野だったため、一から労務管理の勉強を始めました。

田中さんが仕事で大切にしてきたことは「社員は家族であり、職場の仲間を大切にする」こと。

その考えのもと、全ての行事に「短時間労働者」も含めて参加できる仕組みをつくり、「パート社員」と「社員」を区別することなく、働くよろこびを公平に運営しました。例えば、それまで社員のみが対象だった社員旅行や創立記念品の贈呈も、パート社員にも平等に提供されるよう制度を改革。会計のやりくりは大変でしたが、「みんなが一緒に楽しめるなら、苦労なんて大したことじゃない」と笑います。

定年後に見つけた、新たな「役割」

「定年後はゆっくり過ごそう」と考えていた田中さん。しかし、次第にその生活に退屈を覚えるようになります。

「さあ何をしようか?」と考えたとき、アルバイトとして光明池で「マンション管理員」の仕事を始めることにしました。その後、光明池が遠い理由から、三原台でマンションの建設現場を見かけた田中さん。

施工業者が会社の物流倉庫で関わりのあった「大和ハウス」だったことを知り、「管理員募集前に応募しよう!」と思い立ちました。なんと、募集が始まる前に自ら梅田の本社へ履歴書を持参。面接官10名との面接を経て、2週間後に採用通知を受け取ります。

その頃にはすでに茶山台へ引っ越しており、茶山台二丁八番にある大阪府住宅供給公社の団地に住みながら、マンション管理員としての生活が始まりました。

田中さん:ここは自分のマンションと思い、住民のみなさんと家族のように接していました。

日々の挨拶を欠かさず、マンション管理組合の役員会にも積極的に参加。新築のマンションにつき、マンション管理組合をフロントと共に立ち上げ、定例会議の議題等を作成するなど、理事長とともに進行していきました。

困りごとがあれば一緒に考え、問題解決に取り組むことで、住民との信頼関係を築いていった田中さん。その頃の人間関係が、とても楽しかったと話します。

地域への恩返しと「いきいきサロン」のはじまり

管理員としての仕事を続ける中で、「今まで地域に何も貢献してこなかった」と気づいた田中さん。「これはいかん」と、地域会館を訪れ、茶山台校区福祉委員会の行事に参加し始めました。

そんなある日、「ふれあい喫茶」に参加した際、後に田中さんの“コンビ”となる森さんと出会います。その後、福祉委員会の活動へ本格的に参加。社会福祉協議会南区事務所や三原台自治会館の行事を見学し、常に森さんと行動を共にしながら、地域活動の知識を深めていきました。

活動を続ける中で、田中さんは「参加してくれる方々はお客さん」という視点に立ち、福祉行事以外にも楽しめる企画を考え始めます。その一つが「歌声サロン」でした。

会館を貸し切り、※YouTubeの音源をダウンロードしてUSBに保存、プロジェクターを使ってスクリーンに映しながら合唱するという斬新なスタイルを導入。あまりの好評ぶりに、社会福祉協議会の所長が視察に訪れるほどになります。

※YouTubeは営利目的でなければ使用可能と確認した上で運営していました。

「茶山台はひとつ」仲間と共に

田中さんが活動を続ける上で、一貫して大切にしてきたのは「仲間の存在」です。

田中さん:自分がやりたいことが見つかったら、そこには必ず仲間が必要なんです。誰かとつながり、支え合うことで、その『やりたい』は自分だけのものではなく、誰かのためにも繋がる。そして、そうして繋がった思いが次の誰かに届き、新たな笑顔を生んでいくと思っています。


田中さんと森さんの二人三脚の活動は、地域の人々に楽しんでもらえるようになります。参加者の方が喜ぶ姿をみた時は、とても嬉しくて、元気をもらえたのだそう。

田中さん:森さんは、参加者一人ひとりに気を配り、場を明るくするのがとても上手な方です。もちろん、意見が合わずに喧嘩することもありましたが(笑)、それでも一緒に活動できる仲間ができたことが本当に嬉しかったですね。


田中さんが活動を続ける原動力は「来てくださる方々の存在」と語ります。最後に、田中さんはこのようにインタビューを締め括られました。

田中さん:私にとって大事なのは、『やってやっている』ではなく『させてもらっている』という感謝の気持ちです。そう思うことで、どんな人とでも自然と心が通じるようになると感じています。僕は地域で区別するのが不公平と思い、茶山台はひとつ、みんなでひとつと思っています。それが僕の活動のベースです。最後に、今は歳を重ね「忘れる」「鈍い」「体力低下」など、どなたでもなる宿命にも負けず「楽しく」生きています。どんな時でも楽しく。この言葉は森さんが常に言ってましたから、身に染まりました。今さらながら有難う。また、当時のスタッフの方々、有難う。

編集後記

田中さんはこれからも、森さんや、地域の仲間と一緒に、やりたいこと、面白そうと思うことを形にしていくのだと感じます。そして、そんな素敵な仲間に囲まれた人生は、本当に楽しいのだということを、今回のインタビューで感じました。田中さんの言葉には、地域を超えてすべての人に共通する大切な教えが込められています。


 「まずは身の回りで『これを形にしたい』と思うことを伝えてみる」「日常のちょっとした場面で『ありがとう』と感謝の気持ちを言葉にする」「困っている人を見かけたら、一言でも声をかける」


そんな小さな積み重ねが、地域や、周りを見守る目として育っていくのだと感じまました。私自身も、田中さんのように「まずはやってみる」「仲間と一緒に取り組む」ことを大切に、身近な人とのつながりをもっと意識し、小さな一歩を踏み出してみようと思います。

この記事を書いた茶山のひと

プロフィールページ

まつやまちなみ団地ライフラボat茶山台

NPO法人団地ライフラボat茶山台のコーディネーター。鳥取県出身。大阪の人たちの陽気で明るい雰囲気に惹かれ、20代から上阪。その後、千葉県・宮崎県と場所を転々としながら100人シェアハウスで暮らし、出産と同時に30歳で大阪に戻る。ひょんなことから茶山台団地に出会い、緑の多さやコミュニティがある豊かさに惚れ込んで住民になる。「団地=大きなシェアハウス」と自分なりに定義し、そこに住む人たちとの交流や温かなつながりを大切にしながら暮らしている。

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