茶山台新聞

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できることはしてあげる。茶山台団地で半生を過ごした、88歳・山下美代子さんの物語。

木

今年88歳を迎える山下美代子さんは、46年前に茶山台団地に入居されました。長年、大阪にある金物屋さんでパートをしながら、団地の歴史とともに、半生を歩んできた方です。

山下さんにとって、茶山台団地での日々は「楽しい思い出がいっぱい」だと語ります。

山下さん:昔はね、ご近所さんと協力しながら暮らすのが当たり前でしたよ。ゴミ箱の掃除なんかもみんなでやってね。月に1回、掃除のために集まったり、老人会のバスツアーなんかも団地の中で企画されたんですよ。

山下さんの言葉からは、昔ながらの温かいご近所づきあいの風景が浮かび上がります。お互いが見守り合い、助け合う空気が団地全体に流れていたことが伝わってきます。

 

仕事を辞めてから深まる地域との繋がり

一番左にいるのが山下さん

70代に入っても、山下さんは大阪の寺田町にある金物屋さんで仕事を続けていました。お店では、日用品の仕入れや送金の手配をしつつ、地元の方と会話を交わすのも楽しみだったそうです。

そんなお仕事が一区切りついたのは、72歳の頃。店を閉めてからは、自然と茶山台で過ごす時間が長くなり、地域の人たちとの関係も深まっていきました。

山下さん:お店をやめてから、ちょっとずつ団地のみなさんとの関わりが増えましたね。老人会に参加したり、手芸の会で編み物をしたり。編み物用の糸をもらったから、それで作品を作るのも、楽しかったですね。近所の人とも、子どもが巣立ってからは、よく一緒に出かけたりしていますよ。

地域との繋がりが深まるにつれて、山下さんは老人会で知り合った仲間やご近所の方々と、お茶会やカラオケなどを楽しむ機会が増えていきました。少しずつ「団地での暮らしを楽しむ」姿勢が生活の一部となり、今では、さまざまな集まりに自然と顔を出すようになっています。

 

できることはしてあげる、山下さんの心がけ。

そんな山下さんが心がけているのが、「できることはしてあげる」ということです。誰かからお手伝いを頼まれたときも、誰かが困っている話を聞いたときも、できることはしてあげる。その小さな積み重ねとさりげない優しさが、周囲の人々から愛される理由となっています。

山下さん:頼まれたら「できることはしてあげよう」と思うだけですよ。手伝ってほしいと言われたら、できる範囲で応えてあげたいなと。深い意味はないんですけどね。

ハロウィンの仮装と仮想を組み合わせた、ユニークな「かそう」避難訓練は、万が一の災害に備える団地の恒例行事となりつつあります。子どもから大人まで、それぞれ工夫を凝らした仮装で参加し、毎年多くの笑顔が生まれています。

そんな「かそう」避難訓練で、山下さんは手作りのカボチャ帽をかぶって登場。そのチャーミングな姿は、子どもたちに笑顔を届け、訓練の場を明るい雰囲気にしていました。

 

戦時中の記憶と、受け継がれた「おかげさまの精神

山下さんの溢れる優しさと、人助けをしようという姿勢は、どこからきているのだろう?

そんな疑問を胸に、山下さんに取材をお願いしました。お話を聞くなかで感じたのは、彼女の根底にある「おかげさまの精神」の存在でした。

山下さん:幼い頃、戦争で母も兄も亡くし、お父さんも戦地に行っていました。その頃は本当にひもじくて……でも、お父さんが無事に帰ってきてくれて、二人目のお母さんと再婚してから、やっと穏やかな日常を送れるようになりました。二人目のお母さんは、本当のお母さん以上に優しい人で、とてもよくしてもらいました。感謝しかないですね。

山下さんが語る幼少期の記憶には、深い感謝が溢れています。誰かにしてもらって「当たり前」ではなく、周りに感謝しながら生きる「おかげさまの精神」が、山下さんの根底にはあるように感じました。

そんな山下さんは、今も、団地でさりげない手助けを続けています。

少し体調が悪い人には「病院まで連れていくよ」と声をかけたり、「まちかど保健室」ではお茶会のお手伝いをしたり。編み物や縫いものを楽しむ「しらゆりの会」では、率先して、みなさんへの声かけや、お茶菓子などの用意をされています。

「できるからしてあげるだけよ」と語る山下さんの言葉には、昔ながらの自然な助け合いの温かさが滲んでいました。

彼女の「おかげさまの精神」に支えられた、さりげない見守りの姿勢は、茶山台団地における大切な財産だと感じます。山下さんに助けられた人たちを通じて、その温かさが伝播して、いつの間にか助け合いの輪が広がっていくような予感がしました。

この団地に住む私も、山下さんに教わった「おかげさまの精神」を受け継いでいきたいと感じた、心温まるひとときでした。

この記事を書いた茶山のひと

プロフィールページ

まつやまちなみ団地ライフラボat茶山台

NPO法人団地ライフラボat茶山台のコーディネーター。鳥取県出身。大阪の人たちの陽気で明るい雰囲気に惹かれ、20代から上阪。その後、千葉県・宮崎県と場所を転々としながら100人シェアハウスで暮らし、出産と同時に30歳で大阪に戻る。ひょんなことから茶山台団地に出会い、緑の多さやコミュニティがある豊かさに惚れ込んで住民になる。「団地=大きなシェアハウス」と自分なりに定義し、そこに住む人たちとの交流や温かなつながりを大切にしながら暮らしている。

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